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転職支援事例「工場閉鎖40代失業からの再就職、2社から内定を受け、決断」

今回は、不運にも務めていた工場が閉鎖となってしまった40代のCさんのお話です。

40才、捨てたもんじゃないですよ!きちんと働いてきた人は、ちゃんと光るものを持ってるもんです。
漆塗りのように塗り重ねてきただけに「当たり前」になり、自分では自覚できないもの。
Cさんとは何度かやり取りするうちに、私にも見えなかったCさんの輝きが現れ始めました。
私はちょっと、伝え方のお手伝いをしただけなのですが、、、

詳しいことは、Cさんから語っていただきましょう。
固有名詞は、置換えましたがほかは原文のまま。きっと参考にしていただけるはず。
では、どうぞ!

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「前職の食品製造業界の工場閉鎖が突然発表されたのは、2015年1月。
当時14年の長い製造部門から、数か月前に品質管理の部署に異動になり、不慣れも手伝い毎日が悪戦苦闘の連続というタイミングで、全くの寝耳に水の話でした。」



「41歳という年齢での転職が非常に気になり、インターネットで「40歳_再就職」と検索すると、気が滅入るような内容ばかりの状況。定期的にハローワークの検索をしても、同じ企業の求人ばかり回り続けるという先入観を持ってか、良い案件なのか疑心暗鬼になり手を出せず、求職検索のみを続けつつ同年6月中旬の工場閉鎖による退職を迎えました。

「いよいよ無職となり、「年齢に加え、休職期間が長ければますます不利」と考え、ハローワーク活動を本格化。7月初旬にインターネットで見つけたキャリアクリエイトに登録。そうしたところ数日後、佐藤部長より面談の場を持っていただき、私の前職の経歴・スキル・前職での収入・家庭環境・転職希望職種など、雑談を交えお話をさせていただきました。

お話の中で佐藤部長より「以前企業を回っていた時、そのような人材を欲しがっていたところがあった。但し、現在は状況が変わっているかも知れないので確認してみる」など、足を使い、顔を見合わせながら企業を回り、案件として未完成だがピンポイントでの求人が存在することを知り、また、そういう人材紹介会社に巡り合えたことに、非常にうれしく思えました。(残念なことにその企業は現在募集をしていなかったとの連絡を後日いただきました)

一方、同時に進行していたハローワークの活動では、書類選考不採用1件、食品業界の品質管理の募集では面接の際に口下手が災いし頭が真っ白になり不採用1件と不振が続く。今振り返れば、この時期は自分自身を見つめ直し、入社したい企業を見定める期間にあたるのでしょうが、徐々に自己否定的になり、自分自身を見つめ直すことが出来ず、年齢や口下手のせいにし、そしてなぜか「もう食品業界はイイかな?」という業界に対し変なやり切った感を持ったという、悪いスパイラルに入り始めていた頃と思われます。そんな中、7月末に一本の電話がありました。」



「原田社長から電話で「紹介出来るかもしれない案件がある」とのことで、原田社長と面談。

A社という非食品の製造業の管理者という案件で、原田社長より、その企業の状況説明や私の意向を再確認、事前に準備していた履歴書・職務経歴書に不足の指摘いただき修正。幸いにも、前職での現場改善活動の実績やパソコン全般を得意としているところを先方に評価いただき、8月初旬の面接の場をもっていただく運びになりました。

初回は面接に同行するキャリアクリエイトの方針で、A社社長・原田社長・私の三者による面接(採用可否は二次面接以降)。

原田社長とお話する度「下手でも良いから相手に分かり易く丁寧に説明して下さいね」や「タダ問題ありません、ではなくナゼ問題ないのか説明を加えて下さい」など何回か指摘された程、説明が苦手でそれを口に出せない私にとって、こういったスタイルはありがたく、心に余裕を持つことが出来ました。とは言え、A社社長に私から質問することもなく、聞かれた事に答えるというレベルで終始。おまけに、自己啓発に励むA社社長への仕事に対する向上心に圧倒され、私に不足していると判断された自己啓発を励行された面接になってしまいました。それだけに、余計言葉少なになったのかも知れません。それから、前職で経験した品質管理も完成品やその工程だけのもので、全体を見通したものではなかったことも気付かされました。

面接が終了した段階で自身を振り返り、前職を含め必要に迫られないと行動しないタイプで、恐らく前職でも必要に迫られたものだけのスキルしか得ていないと反省。

今回の面接がどちらに転んでも、面接で感じた【自己啓発・全体的な品質管理】というものは今後自分にとって必要なものだと、本屋で自分の不足を補う本を購入し勉強するに至りました。面接で私が感じた感覚は、おおよそ正解だったようで、【自己啓発不足、どうしても当社に入社したいという意思の不足】など、原田社長経由で今回のA社社長が観た私像が返ってきました。



「二次面接はA社社長と私の2名。前回同様、工場のありのままを見学させてもらい、私のキャリアや入社した際やりたいことなどの質問。2回目の訪問ということと、悪い所を理解された中ということもあってか、自分の感じたことを(口下手ながら)素直に答え、自分で不足を感じ勉強したことにより分かったことなどを説明。先方の私への見方が少し変わった印象を持てました。

三次面接の場を数日後に設けてもらい、工場長候補としての資質などを観つつ、現場のリーダーとの相性診断などという流れで終了。・・・採用の結果は、私の感じていた雰囲気と異なり残念ながら不採用。事前に原田社長より「お互いの相性もあるから」と言われていたこともあり、無念に思いながら結果を受け入れることが出来ました。

ただし、この度の採用試験で、自分に不足しているものを見つけることが出来、結果不採用ながら得るものが大きく感じられ、再就職に向け視界が良くなった印象を持てました。この段階でようやく自分を見つめ直すことが出来、「もう食品業界はイイかな?」を思い直すことも出来ました。これは後日談になりますがA社社長は、面接を重ねる中で私の伸びしろを感じ、どうにか私を採用できないか模索し続け、ぎりぎりまで採用を考え続けてくれていたようです。



「気持ちを新たに、ハローワーク活動を再開しようと検索を続けていた数日後、原田社長より電話をいただく。「Cさん(私)の意向次第だけど、実はA社社長と、非常勤的にA社の顧問をしているB社顧問Kさんのつながりで話し合いの中で、B社はCさん(私)のようなキャリアを持った人材を欲しがっている。ただし、現段階でキャリアクリエイトとB社は契約を結んでいない。B社の社長判断で許可が出れば、話が進むかも知れない。」といった内容。
当然その話に喰い付きたい状況。その数日後、その許可が出たとのことで、9月中旬に採用試験の場を設けていただく。

面接に備える意味合いも含め、自分のやってきた経験の整理をしていた数日後、原田社長から「お話したいことがある。明日時間を取ってもらえるか?」との電話がありました。【A社に予定外の欠員が発生。欠員をハローワークに募集として出す前に、Cさん(私)が可能なら、ハローワークに募集をかけず採用を予定する。先方も猶予が無いため、結論をすぐ出せなければハローワークに募集を出す。まずA社社長の考えを聞いて欲しい】といった内容(当然、前後のいきさつや分かり易い説明は原田社長より有り)。

B社一本で考えていたところに、面接の橋渡しをしてくれた社長からのヨモヤの声掛け。
判断に迷いつつ、「B社と一度も面接をしないで決定することは間違い」という考えを持ち、A社の考えを聞きつつ、B社と面接をするという両方のお話を聞き、状況を見極めた上で判断させていただく方向で決断をしました。

いよいよB社との面接。
先方の本部長と原田社長と私の3名で行われました。A社社長から私の良い所だけ話が伝わっていたのかな?と思えるくらい、過大評価されていると感じるほど自己PRする場があまり無く、先方が自社の悪いと感じているところの話で終始、「それでも良ければ当社に入社してもらいたい」という趣旨のお言葉をいただく。加えて、私に限られた時間いっぱい工場内を見学させてもらい終了。

その後A社と面談。
A社のお考えを伺い、「良く判断した上で、悔いのない結論を出してください。」というお言葉をいただく。

どちらも誠心誠意、自社の悪いと感じているところをお話いただいた中で、私の経験職からもろ手を挙げてもらった印象のB社。一方その橋渡しをしてくれたA社。どちらからも勿体ないお言葉をいただきながら、B社の二次面接以降で最終判断することを決断しました。



「その後、B社との二次・三次面接が順調に運び、失業当初の私には考えられないような両社からの内定をいただくという、嬉しさと同等以上の苦しさが訪れました。

前述したように、【私のスキルに信頼を寄せ一貫して、私の入社を期待してくれた】B社。

かたや、【面接の場でありながら私に仕事に対する意識を悟らせてくれ、ぎりぎりまで採用可否の判断をしてくれた。尚且つ不採用を決断した際、経験職の求人創設を橋渡ししてくれた。さらに突発的な求人に対し私に一番に声をかけてくれた】A社社長。

有り難さやら現段階のそれぞれの企業状況などが私の頭で混在し、どちらを選んでももう一方の企業に申し訳なく判断に困ってしまいました。

そんな中、決め手となったのは、別のことを話していた時で原田社長から言われた「出来ること、やりたいことなど、分けて考えましょう」という言葉でした。
初めてといえるくらい多角度から物事を考え最終的にB社入社に決断。

一方、形の上で内定を辞退させていただいたA社へは、いただいた恩義はB社で立派な働きをすることで返すと考え、気持ちの整理をつけました。



「不幸にも一旦、勤め先を無くした私でしたが、キャリアクリエイトの助けを得ながらの就職活動で、自分の弱さを隠す愚かさを気付かせてもらい、私自身の仕事への考え方を改めさせてもらい、私自身の内面的な甘さを気付かせてもらった。その中で、企業に生きる社長たちのたいへんな中で苦しんでいる中の優しさに触れることも出来た。トータル的に考えると、退職自体も私自身を良い方向へ導く好転材料だったと思われます。偉そうに思われるかも知れませんが、私が当初不安だった40歳代でも必要としている企業はたくさんあり、逆に欲している位。ただ、自分が(どういう業種でも)どういう事をしてきたかが重要だったのだということも強く感じることが出来ました。

最後に構文下手からうまく文中に組み込むことが出来なかったのですが、原田社長からどんな時でも大事な話は、必ず顔を見合わせ話してもらったことに私自身が信頼を寄せ活動できた点。お見合いのようにスムーズに面接を迎えられた点。製造部門一辺倒だった私に、MG(経営など)の勉強会に声掛けいただき別角度からも成長を促してくれた点。客観的に見て間違った考えには冷静にジワリと指摘してくれた点。常に冷静なアドバイスをいただいた点。どれも今はありがたく感じております。
キャリアクリエイトの【現場をしっかり見せてもらい、先方にもネックと感じている情報を開示してもらい、互いに納得できた段階で雇用成立】。とてもありがたく、究極のスタイルと思いました!!!

この度は大変お世話になりました。ありがとうございました。」
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今回ご紹介したCさんは10月から働き始めたばかり。
きっと、すぐに困難に出くわすはず。
入社前日、Cさんに電話をいれた。
私が「入社したら、きっと『聞いてないよ』と思うことや『話が違う』ってことや『やってらんねぇ』と思うことが起きると思いますよ。でも、そんな時に支えになってくれる原点がこの文章かもしれませんね。」と伝えると。
Cさんが「原田さん、分かってます。」と一言。
これからも末永くCさんをサポートしていきたい。

私たちは「キャリアのホームドクター」「かかりつけのキャリアコーチ」を目指して仕事をしています。
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