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不思議な「縁」を感じました。

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恒例の【転職成功物語】
今回は転職が決定したのが昨日!という、季節柄暑々(違うか!)の物語です。

寄稿をお願いしたのが昨日の夕方。
快く引き受けて下さったAさんは、今回が3社目という転職歴ですが一社目からの心の動きを丁寧にまとめてくださいました。
歴代トップ級の超大作です!

自身に重ねるといろいろな気づきを得られます。

Aさん本当におめでとうございます。
この山形で、これからも末永く宜しくお願いします。

以下、原文のまま、お送りいただいたメールの内容からご紹介します。

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長文、駄文、申し訳ございません。今の気持ち、前職で希望退職に応募した時からの経緯を含めてまとめてみました。

思い返せば、山あり谷あり。思い悩んでばかりですが、それぞれの会社でとても多くのものを学んだんだなと、思えるようになりました。

山形を離れ、都会を十分経験したからこそわかる山形の良さ。
私が山形に戻るのは、やはり、今なのかもしれません。

これからは、仕事だけではなく、親戚づきあい、隣組などのご近所づきあいにも積極的に顔をだしつつ、人の輪を広げてゆきたいと思います。

引き続き、よろしくお願いいたします!
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最初の転職は2008年です。約8年勤めた企業を希望退職に応募する形で退社しました。山形県内に本社を置く企業の中では最大規模の歴史ある会社です。そのなかで、現場重視の経理を徹底的に叩き込まれました。会社全体の経営計画策定まで任せていただいたところで、新たな環境へ移ろうと決意しました。「開示業務など、より上位組織での経理業務に携わりたい。」これが退社の理由でした。1年間の親会社への出向経験が自分を動かしたのです。

ただ、今になって思うことは、この8年間で得た経験が、今の自分の支えになっているという事実です。先輩から時に厳しく、根気強く、指導していただいたことは、私の人生の宝となりました。2001年9月11日。あの日。深夜まで数字が固まらず、悶々としていた自分に付き合って、居残ってくれた先輩の温かい後ろ姿を忘れることは出来ません。私もそういう先輩でありたいし、あらねばならない。そう思います。先輩の厳しい指導の裏にある温かさが、今になってわかるようになりました。

転職とはなにか。恥ずかしながら、当時の私は、その進め方をまったく理解していませんでした。ただ、希望退職での退社であったことが救いでした。会社が契約した再就職支援会社からのサポートを受けることが出来たからです。時おりしもリーマンショックの只中。本当に道はあるのかと不安になりました。そんな中、担当のアドバイザー氏から、「転職を専門に支援するエージェント」の利用を薦められたのです。その一つが「キャリアクリエイト」さんでした。そのときは、残念ながら、お世話になることが出来ませんでした。しかし、このときの記憶が、後に大きな「縁」をわたしにもたらしてくれることになります。そのときは、まったく想像できませんでしたが。

山形での再就職をあきらめ、大手エージェントに求職登録し、全国に視野を広げました。遠くは北九州小倉。某製鉄メーカーの子会社の面接を受験。「明日面接に来てくれないか。」JTBに飛び込んで、急いでチケットを入手。面接に向かうため、生まれて初めて飛行機に乗りました。自分の世界が大きく広がってゆくのを肌で感じました。ゲーム機最大手のメーカーでは、東京青山の本社で最終面接にまで臨むことができました。不合格ではありましたが、偉大な先輩の足元にも及ばないと思っていた自分のスキルが、一定の評価をいただいた。大きな自信になりました。

約半年間の再就職活動を経て、最終的に2社から内定を得ました。そのうちの神奈川県にある会社に入社しました。決め手は、上場企業であったこと。勤務地が山形に似て、自然豊かな環境であったこと。そして、特急で1時間で都心にアクセスできたことです。

2年半お世話になりましたが、ともても得がたい経験をすることが出来ました。経営状態が極めて悪化している状況での入社。給与・賞与ともに大幅にカットされ、退社までそれは解除されませんでした。ですが、企業の最悪の状態と再生の過程を体感し、直接的にではないにしろ、再生への活動に携わることが出来たこと。これは今後の自分の宝になると思います。

そのなかで感じるようになった違和感。現場からかけ離れたところで、机上の数値から資料を作ってゆく。これでいいのだろうか。開示規則にしたがって資料をまとめてゆくことが、果たして経営に生かされるのだろうか。現場主義を叩き込まれた自分にとって、現場から乖離した経理は、「自分が目指すべきものではない」と感じたのです。と同時に、「現場に根ざした経理、投資家といった会社の外へ向けて情報を発信する」のではなく、「経営に生かすべく会社の中へ情報を発信する経理に、再び、腰を据えて携わってゆきたい。」そう思い立ち、再び、転職のための情報を収集するようになりました。

そのさなか、東日本大震災がおこりました。

事務所でパソコンに向かっていたとき、これまでに感じたことの無い大きな揺れに恐怖を覚えました。かつて東京の親会社へ出向中に遭遇した中越地震を思い出しました。すぐに停電になり、避難指示がでました。全社員が非難した後、即退社を命じられました。会社から15分ほどの自分の部屋に帰ってすぐTVをつけました。幸い電気は通じていました。次々と映し出される、現実とは思えない光景。記憶にある、実際に何度も訪れたことのある風景が、消え去っている。いったい何が起きたのか。実家と連絡が取れたのは夜遅くのことでした。家族の無事を確認しほっとしました。ただ、家族の無事な姿を「この目で見るまでは」安心できない。私に出来ることは、TVに映し出される映像を携帯で撮影し、山形の家族にメールすることだけでした。停電のなか、情報を入手する手段を絶たれた家族の助けになればとの思いです。このときの思い。山形から離れ、家族のために何も出来なかった悔しさが、私に、山形へのUターンを決意させました。震災から1週間後、羽田から庄内空港へ、庄内空港から高速バスでなんとか山形へたどり着き、家族の無事な姿を目にしたときは、心から安心しました。

それから、年度末の本決算。1か月以上休みなしという、毎年恒例の激務を終え、ゴールデンウイークの代休を取得し山形へ帰省したとき、私はスーツと革靴を持参していました。履歴書に添付する顔写真を撮影するためです。6月初旬のその日。再就職時にお世話になった近所の写真館へ予約の電話をしたところ、臨時休業とのこと。仕方なく、明日の予約をとりました。時間は昼過ぎ。せっかくスーツを着ているのだからと、頭に浮かんだのが再就職の折お世話になれなかった、「キャリアクリエイト」さんでした。「直接、山形の求人動向を聞いてみよう。」だめでもともとです。「電話しよう!」そうしたら、何と「すぐに来れますか?」その足で事務所に伺いました。代表の原田様より簡単なカウンセリングを受けた後、紹介されたのが「B社」です。その日のうちに書類を揃え、原田様に送付。翌日には佐藤様と、より詳しい面談を行いました。「こんなキャリアを持った方を探してたんです!」そんなお言葉を頂いたときは正直驚きました。先方様より待ったなしの催促を受けられているさなかとのこと。「とにかくこの流れに乗ろう!」と思い、進めていただくことに。その後は、こわいくらいスムーズに進展し、翌週には面接受験の機会を頂きました。面接では、社長様はじめ、皆様と深く意見を交換することが出来ました。B社の進む道と自分が歩んできた道が重なり、一つに重なってゆく姿が見えました。「ここで働きたい。」そう思える環境に巡り合うことができたこと。しかも、生まれ育った山形の地で。うれしかったです。

その日の夕方、東京へとんぼ返りし、翌日の出社に備えていた深夜2時、祖母が亡くなったとの連絡が山形の家族からありました。これは果たして偶然なのか。いや偶然ではない。祖母は私が山形に戻り、家を支える決心をしたことに安心したのではないか。そう思わずにいられません。翌日山形へ戻り、人生で初めて、喪主を務めることになりました。ここで感じた、親戚の皆さん、山形の暖かさ。忘れかけていた大切なものを、祖母は最期に私に思い出させてくれたのかもしれません。

翌週、内々定の連絡を頂きました。そして、7月6日。私の34回目の誕生日。採用決定のご連絡を頂きました。

Uターンを決意し、行動に移してからちょうど1ヶ月。これほど早く、ベストな結果を得ることができるとは想像できませんでした。これまでの人生で感じたことのない「縁」を感じます。ですが、やはり、「キャリアクリエイト」さんと出会えたこと。原田様、佐藤様、黒川様。皆様と出会えたことが一番の「縁」だとおもうのです。

一人でも多くの方が、素晴らしい「縁」に巡り合い、自然豊かで心が温かい人々でいっぱいの山形へUターンされることを、心より祈っております。

皆さま、このたびは、本当に、有難うございました!
これからもよろしくお願いいたします!



「働かされる」ことと「働く」こと

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「働かされていてはダメ!」
「自ら仕事を創って働くぐらいでないと!」

大半の方々がOJTの中で体感した、もしくは隣人が指導を受けている場面で耳にした事がある言葉だと思います。
これは、ご存知のとおり「主体的に仕事に取り組みましょう。職場も自分も活性化しますよ。」という指導の場合が多いと思います。

一方で、「それは昔。古き良き時代の話。今は経営効率化、固定費圧縮の下に、人員削減・労働時間削減が進められ業務が増えても増えてもさっぱり人員を増やしてもらえない。結果、働いても働いても「働かされ続ける」、と指摘する方もいらっしゃいます。

もちろん、仕事量MAX期に合わせた人員を固定している経営者はいないと思いますが、ずーっと恒常的な労働力不足状態は従業員を疲弊させ、その家族にも影響を及ぼしてしまう・・・と考えさせられるAさんのご相談内容でした。

Aさんは、前職の仕事が好きでやりがいを持って主体的に働いていました。
ですから、同じような仕事が出来ること、つまり職場を変えたいという転職活動をしていたのです。
「主体的に働きたい」一心で・・・。

結果、残念ながら思い通りの同業とのご縁は結べませんでしたが、「働くこと」ができる職場にめぐり合えたようです!

以下、原文のままご紹介します。

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以前から、勤めている会社と自分の考えのギャップに苦しみつつ仕事をしておりました。
しかしながら、会社からは管理職をまかされ、他のものからみれば充実した毎日をおくっていると思われていたと思います。
そんな時、体を壊しました。
1週間入院して治療をしましたが完治せず、後遺症が残ってしまいました。2週間後、会社に復帰しましたが、後遺症を抱えながら嫌な思いをして仕事をこなしていくことが苦痛になり、退社を決意しました。
退社を決意したものの仕事をしながらの就職活動は困難であったため、キャリアクリエイトに登録し、就職活動を支援していただくことにしました。登録後、佐藤様からすぐに連絡があり、履歴書や職務経歴書の書き方などの指導をいただきました。
登録後の約3か月後に1社紹介していただきましたが、お互いの条件が合わず不採用となりました。その時、面接担当者から、自分の取得資格の少なさを指摘されました。
その後、就職先は決まっておりませんでしたが、会社を退職して就職活動をすることにしました。当初、勤めていた会社と同業界を希望する旨を佐藤様に伝え、就職先を探してもらっていました。自分でも頻繁にハローワークに通い情報を集めましたが、これまでと同業界の求人はありませんでした。気が付くと退職してから5か月余りがたっていましたが、自分の体のために少し休んでいるのだと考え、あせらないようにしました。
その後、少し希望する業界を広げて活動することにしました。すると、すぐに3社の求人が見つかり、3社ともに面接させていただけることになりました。その中で、キャリアクリエイトの佐藤様から紹介していただいた会社の「精神・人柄」に「惚れ」、入社を決めさせていただきました。

会社に入社し、2か月余りが経ちました。まだまだ慣れてはいませんが、頑張っております。

就職活動中は、キャリアクリエイトの原田様、佐藤様には大変お世話になりました。感謝しております。また、就職活動中の自分を支えてくれた家族にも感謝の気持ちでいっぱいです。

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Aさん、お体に気をつけて!ご家族を大切に。。。

文:佐藤広一



苦境から復活、見事やりたい仕事を勝ち取ったKさん

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去年の秋口、やつれた表情でKさんが来社された。
数年前に知り合ったある方からのご紹介だという。

Kさんは30代前半。山形出身で、学校を卒業と同時に東京でクリエイティブな仕事を5年くらいされ、その後、同じような仕事を山形に見つけ5年ほど経過していた。

もともと好きな仕事だからやっているが、上司との折り合いが悪く、何を提案しても取り合ってくれず、やる気を失っていた。

やる気を失うだけだったらまだしも、日々のストレスが折り重なって、心の病まで発展していったという。

Kさんの職業は、私ども人材紹介会社へ求人が来ない職業である。
つまり人気の職業なのだ。

Kさんは山形出身だけど、県外にでても自分が生きる会社で勤めたい、としきりに訴えてきた。

私は、「紹介はできないけど、自分でやる方法を教えるのでやってみる?」というと。

こくり、と頷く。


まずは履歴書、職務経歴書作りだ。
しっかりと、自分の実績やモノの考え方まで織り込んだものに仕上げた。

次に、企業の探し方。

そして、やりとりの仕方。シミュレーションを繰り返した。

12月に入ってしばらくすると、面接が決まりました。

入社が決まりました!

と嬉しい知らせが届く。


そんなKさんから絵葉書が届いた。

「以前お世話になりましたKです。2月1日から○○の□□で働いております。まだ3週間ほどですが、環境にも人にも恵まれ充実しています。

原田さんからアドバイス頂いたおかげです。本当にありがとうございました。

これから会社側に信頼を得られるよう、精一杯頑張ろうと思っています。

原田さんもお体には十分気をつけてください。

ありがとうございました。」

とあった。


こういう仕事をしていて、お金では代えられない喜びの瞬間である。

Kさん、自分らしく、がんばれ~!


文:原田幸雄



大企業から中小企業へ、そして再転職。Kさんの話

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私どもを通じて転職が実った訳ではないのですが、私との面談がきっかけで、転職に結びついたということで挨拶に来てくださったKさん。
Kさんの経験談が多くの人に役立つものと思ったので、文章にまとめていただくようにお願いしました。
いただいた文章をそのまま以下に掲載します。

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私にとって最初の転職は2年半前でした。
早期退職という形ではありましたが、急に決まった退職で、再就職に対する焦りがあったのかもしれません。
最初は技術者としての経験やスキルを生かせるところ、会社規模など安定したところを希望していました。残念ながら山形でその条件に合うところを見つけることが困難で、当時のコンサルタントの方が「中小企業の幹部候補」としての道を勧めてくれました。
再就職した会社はまったく異業種ではありましたが、最初から管理職待遇で迎えてくれ、その直後におそってきた100年に一度の大不況の前に再就職できたことを幸運だと思いました。
しかし、途中で「なんかおかしいぞ」と歯車が狂い始めたことに気がつきました。

再度の転職を決意するまでの間は、
あせってこんなところに再就職したのは失敗だったのか?
大企業から中小企業への転職は失敗だったのか?
寄り道せずに技術者としてのキャリアを積み重ねて行ったほうが有利ではなかったか?
という迷いを抱えていました。

原田さんにお会いしたときにいただいたコメントは
1.大不況の嵐の前に再就職できたことは幸運であったということ
そのタイミングで就職できていなければもしかしたら今も定職に付いていなかったかもしれないです。事実、大学時代の友人で1年以上浪人を続けている者もいましたから。
2.いつかはキャリアチェンジをしなければいけなかったので、そのタイミングとしては悪くなかったということ
大企業で化学系技術者としてのキャリアを継続する道は山形には無いのが現実だと思います。
3.手を汚して何でもやれるというように見せることも重要だということ
お高くとまってスキルだけをアピールするのではダメだということですね。

話を聞いていただき、現職を継続することも選択肢に残しながら転職に踏み出す勇気が持て、気持ちが少し軽くなりました。
転職先を探すにあたり、重要な点を次のように考えました。
・技術者としての20年間に得たものはもちろん重要なスキルですが、中小企業の中間管理職として汚れ役を経験したことも重要なキャリアであること
・大企業にずっといては見えなかったことが中小企業で視野を広げることができたこと
大企業に長くいたことにより溜まった垢を、中小企業を経験することで落とすことができたことを強みにしようと考えました。

幸い1ヶ月くらいで決まった転職先での職務内容はまだ分かりませんが、背伸びをせずにまず与えられたポジションを確実にこなしながらステップアップしていきたいと考えています。
最初の転職先での失敗は、
最初から管理職待遇ということで、背伸びをして期待に応えたいという気持ちがあり、会社側も「あの会社から来たのだから何でもできるだろう」という期待もあり、業務範囲が処理能力を超えたことです。
そこでマイナスに回り始めた歯車は、私の社内での評価を最悪のものにしていました。前職でのプライドを捨て切れずに自分を大きく見せようとしていたことが裏目に出たのでしょう。
今度はこの失敗を繰り返さないように新たなスタートを切りたいと思います。
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以上の文章はワードでかかれ添付ファイルでいただきましたが、本文には以下の文章が書かれていました。

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原田様
結果的には原田さんのところでお世話にならずに転職することになってしまいましたが、
最初に面談いただき、追い込まれた状態から踏み出す勇気をいただいたことは本当に感謝しています。
1回目の転職、2回目の転職の体験談がお役にたてれば幸いです。
重要なキーワードは「プライドを捨ててキャリアチェンジの勇気を持つこと」だと思います。
原田さんには本当に良いアドバイスをいただきました。
それと、キャリアアップとは収入のアップではないと思います。
それは痛感しています。仕事は自分の成長のため、という考えが持てるかどうかが大事ではないでしょうか。
Kより
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Kさんと同じような体験をされた中高年の方、現在、そのような状況にある方も多いのではないでしょうか。
ぜひKさんの体験を参考にしてください。

文:原田幸雄



強い意志で道を切り開いたSさんのお話

Posted in: 転職成功物語

Sさんは、43歳のエンジニア。
不運にも前職の事業所の閉鎖という事態に遭われました。
転職活動では、ご家族との同居・山形での生活を優先させ、
一旦はキャリアチェンジして転職をされました。

私がお会いしたのは異業種に身を置かれている時。
一旦は「呑み込んだ」エンジニアとしてのモノづくりへのノスタルジーが、
はっきりと現れていらっしゃる状況でした。

一緒に考えさせていただいた結果、
Sさんはご自分の力で、エンジニアの道に戻りたいという心を行動に換えられました。
それも、強い意志に裏打ちされたくじけない行動です。

結果、見事希望に沿った再就職を勝ち取られたケースです。

私どもが紹介差し上げたわけではありません!

Sさん本当に良かったですね!
ご活躍を祈念致します!

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私は25年間務めた企業の事業所廃止にともない、転職活動を始めました。
エンジニアとして、あるプロジェクトに没頭している最中の突然の出来事。
”割り切って転職活動を”と、頭では分かっていても、中々割り切れないま
まの転職活動でした。更に追い討ちを掛けるように、世の中は有効求人倍率が
0.3倍台と最悪の状況でした。

そんな中、紹介でキャリアクリエイトさんに出会いました。

初めての原田さんとの面接で、
「スキルは十分だけど、希望の業界は、今、一番厳しいからね。
雇用保険が切れる前に景気が回復すればよいけど…。」でした。

期待とは裏腹に、景気は一向に良くなる気配がありませんでした。
どの企業に応募しても面接どころか書類選考でNGの連発。
まさにどん底。

就職活動を開始して4ヶ月目に、希望業種に拘らずに就職活動をしようと
決断せざるを得ませんでした。
すると、異業種にトライし始めたのが良かったのか、運良くある企業に採用して頂き、
働き始めました。

”働けるって素晴らしい”

と思いながら勤務し、満足感もありました。
試用期間が終わり正社員への切替と同時に役職につき、自分のミッションの
達成のために一心不乱に働きました。
しかし、成果が少しずつ見え始めたのですが、私の中で何かが違うと感じ始
めたのです。

時間をかけてそれは何なのかを考えた結果、前職で、エンジニアとしての
気持ちが完了しないままの転職であったためだと気づきました。
割り切って就職したはずだったのですが・・・。

”もう一度エンジニアに戻って、物作り、設計開発に没頭したい。”

そういう気持ちから、再度転職活動を開始しました。
もちろん、手を抜かずに仕事をしながらです。

同時期に再度、キャリアクリエイトさんにご相談させて頂きました。
そのときに面接して下さったは、佐藤さんでした。
まず、前回の転職活動時期の状況を改めて説明して頂き、背中がゾーッとしたと同時に、
書類選考NGの連発だった理由も理解できました。
本当に厳しく、とんでもない状況だったことを改めて認識しました。

更に今回は本来の希望職種とのミスマッチよるものだと確信できました。
確かにその通りでした。

そこで、まず、職務経歴書について佐藤さんにアドバイス頂いた点を見直し、
とにかく、ダメモトの精神でやりたいと思う仕事、自分が働いて見たいと思う企業様に、
チャレンジし続けました。

今思えば、酷い断られ方もされ、応募しても応募してもNGの回答ばかりで、
そのうち自分を否定されている感覚ですらありました。
本当に苦しく、厳しい時期でした。
しかし、自分のやりたい仕事に就くことを諦めずにトライし続けました。

結果、某企業から面接の機会を与えて頂き、とんとん拍子で内定まで至りました。
本当に長く苦しい期間でしたが、今では良い経験だと感じています。

”転職には目標と強い意志を持つこと。”が大事だと、私はこの転職活動で学びました。

それは佐藤さんのあのアドバイスが無ければ、学び得なかったことですし、
途中で諦めていたかも知れません。

原田さん、佐藤さん、本当にありがとうございました。



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